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中之条ビエンナーレ2025六合エリア 野反ライン山口 「神様食堂 〜山犬軒にようこそ〜 デザート解説(鑑賞後に召し上がれ!)

  • RIKA TAKAHASHI
  • 9月5日
  • 読了時間: 3分

第一の皿 (第一の部屋)『神の虫のうた』農地の少ない山間部において、養蚕は貴重な収入源である。ここ六合に限らず、山で暮らす人々にとって富を与えてくれる蚕は単なる虫ではなく「お蚕さま」と呼ばれ敬われてきた。蚕たちは桑の葉をたらふく食べさせてもらう代わりに、命を差し出す。人にとってはまさに自然の恵みをただただ与え続けてくれた「神の虫」である。野反ライン山口の入り口に立つ鳥獣供養塔と同じように日本各地に天蚕神社が数多く残っている。日本に絹織物の技術が入ってくる以前には中国と欧州を結びつけていた絹の衣装はローマの遺跡からも発掘されている。日本においては、古事記にあるスサノオが大気都比売を殺害した後で、その体から、稲、粟、小豆、麦、大豆などの五穀と共に、比売の頭から蚕が生じる。「神の虫」と呼ぶに相応しいではないか。
第一の皿 (第一の部屋)『神の虫のうた』農地の少ない山間部において、養蚕は貴重な収入源である。ここ六合に限らず、山で暮らす人々にとって富を与えてくれる蚕は単なる虫ではなく「お蚕さま」と呼ばれ敬われてきた。蚕たちは桑の葉をたらふく食べさせてもらう代わりに、命を差し出す。人にとってはまさに自然の恵みをただただ与え続けてくれた「神の虫」である。野反ライン山口の入り口に立つ鳥獣供養塔と同じように日本各地に天蚕神社が数多く残っている。日本に絹織物の技術が入ってくる以前には中国と欧州を結びつけていた絹の衣装はローマの遺跡からも発掘されている。日本においては、古事記にあるスサノオが大気都比売を殺害した後で、その体から、稲、粟、小豆、麦、大豆などの五穀と共に、比売の頭から蚕が生じる。「神の虫」と呼ぶに相応しいではないか。



今回の第一の皿(部屋)では蚕の運命に人を重ねて考えてみた。太古の昔より絹には富裕の象徴という側面がある。機械化文明後により際立つことになった、奪われるものと奪うものの入子状の連鎖。群馬県には世界遺産になった富岡製糸場がある。この始まりの機械化製糸工場以降価格競争が激化すると、虫たちの価値も働く女性たちの価値も低く見積もられるようになって行く。日本各地で製糸工場で働く女性たちの哀歌が聴かれるようになる。虫と人の関係は、人対人のそれと似ている。日本では絹に関わる仕事は女性が担ってきた。蚕の気持ちで詠んだ詩では「彼女」としているのはそのためである。

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第二の皿 (第二の部屋)『森との交流』

この地域では山神を『十二様』とよぶ。山神信仰は平地が少なく里山という山間部と人の営みが交錯する日本各地ある。『十二様』の名前の由来は諸説あり、その正体についても女神であるとか、猿であるとか、一つ目一本足の神だとか言われているが、山の性格が様々あるのと同様、山神との付き合い方もまた様々である。一方山や山での暮らしにおける禁忌については共通する点が多いようだ。

今回の第二の皿(部屋)では、新潟県で行われていた『ヤマノカミオロシ』を参考にイメージしてみた。『ヤマノカミオロシ』には10歳前後の目隠しされた子供に山神をおろして、山の暮らしの吉凶や困り事に答えてもらう儀式だ。現代において山の動物たちと里の人間たちは以前と比べると断絶し、その領域を巡って敵同士として争う関係になっている。今はもう山神と人間の仲介者たる神子はいない。人と人ですら今現在も悲惨な領域争いをしているのだ。

この地域ではヤマイヌ様が十二様の御使いであるとも言われている。鑑賞者の皆さんにも部屋の周囲をゆっくり回る狼(山犬様)のシルエットに囲まれて、ひととき普段聞こえない十二様のメッセージを感じ取っていただきたい。

第三の皿 (第三の部屋)『神々の食卓』
第三の皿 (第三の部屋)『神々の食卓』

この第三の皿(部屋)神秘の神『十二様』の私的解釈である。かつては「食べる」「食べられる」「殺す」「殺される」という究極で濃密な関係にあった山の動物たちと人々。私的山神信仰では、もとジビエレストランのこの場所で、動物の頭を持った12の神様が食卓を囲む。給仕は十二様の御使いのヤマイヌ様である。ちなみに第二の部屋、第三の部屋の入り口にもヤマイヌ様給仕が立ってご案内している。12の動物はかつてこの地方で狩猟の対象だった鹿、カモシカ、狐、たぬき、うさぎ、イタチ、熊、猿、キジ、山鳥、イノシシの11種プラス蚕である。食卓にあがっているのは、バラバラの球体関節人形の残骸。私の中では『操られ人間』を象徴するアイテムである。

作品タイトルの発想元、宮沢賢治の童話『注文の多い料理店』は、山で迷った傍若無人の近代人が痛い目を見るお話だが、山の禁忌について敬意を払わない現代に生きる我々もまた彼らと同類に感じる。この部屋に入った時に、場違いな場所に迷い込んだような居心地の悪さや、二つの換気扇が見つめる何者かの目のように気味悪く感じて頂ければ幸いである。


 
 
 

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